3月25日(月)~26日(火)はサロンをお休みにさせていただきます。

僕が小学校3年生くらいから住んでいた実家が群馬の前橋市にあるのですが、長年一人で暮らしていた父が6年ほど前になくなり(今年の年末が7回忌です)その後はずっと空き家状態でした。

500平方メートル以上と土地が広く、田舎のため夏場の庭はジャングル状態。

もはや雑草のレベルをはるかに超えて、樹木が茂っているような状態。

草刈りしようにもすごすぎてほとんど手がつけられず、家も老朽化してきていて、大きな台風や地震がきたら・・と思うとずっと心配でした。

できれば少しでも早く手放したくて不動産業者何軒かにみてもらいましたが「ここは売れない」という業者ばかり。

一件の不動産業者が一応受けてくれましたが、何年たってもなんの反応なくあきらめました。

ところが少し前に、地元のある不動産業者の方から「土地を欲しいという方がいるのですがいかがでしょうか?」連絡がきました。

母が生前、自宅で書道教室をやっていたのですが、その生徒さんとして何年も通ってくださっていた方で、かなり前から売りに出されていた実家の土地をずっと欲しいと思っていたというのです。

全然知らない人よりも、こうしたご縁がある方に買っていただく方が、亡き両親もきっと喜ぶと思いました。

先日正式な売買契約を終え、いよいよ今日、明日と引き渡しの手続きになります。

長くなりましたが、このような理由から、本日、明日とサロンをお休みとさせていただきました。

近隣の人や親せきにも報告を終え、40年以上お世話になってきた実家と土地ともいよいよお別れです。

この土地は祖父の代から受け継いだ場であり、孫を代表する存在である自分としてかなりの重みを感じています。

「さみしくないですか?」と聞かれることがありますが、それはまったくありません。

というのも、実家はほとんどいい思い出がないからです(詳細は避けます)。

むしろ過去を捨て去ることで、これからまた新しい人生が訪れる予感しかありません。

最小限の写真などほんとうに必要なもの以外はすべて、実家とともに処分してもらいます。

正直、処分費が膨大になるため、売却してもお金はほとんど残りません。

でもそれでいいと思ってます。

ほんとうにいい方にこれからこの土地を使ってもらえるので、自分としては人生レベルで重い役割を終える感があります。

ここしばらく、時々実家に戻ってモノの整理をしていましたが、つくづく感じたことがあります。

「どんなものも、なにひとつあの世にはもっていけない」

ということです。

この世からいなくなるときは、ほんとうにそのままです。

母がなくなってから25年になりますが、いまだに母の物の多くがそのまま残っています。

かなり久しぶりにお会いする親戚や実家近隣の方々も、みんな年をとってしまいました。

皆さん元気で長生きですが、それでもいつかは終わりが来ます。

では、我々は何のために生きるのか?

そこには、人それぞれいろいろな理由や目的があると思います。

ただ、普段はそのようなことをほとんど意識してないだけです。

元気なときは、今の人生が永遠に続くような気持ちになってしまいますが、

そう考えると、人生でほんとうにやりたいことを先送りすることなどできなくなります。

僕の母は、今の僕の年齢のひとつ上の年齢でいなくなりました。

きっと、人生でやりたかったことがまだまだたくさんあったと思います。

僕は今回実家を手放すことを機に、本当にやりたいこと、叶えたいことをさらにどんどん叶えにいきます。

皆さんは「いつかやろう・・」と先送りしていることはないでしょうか?

人生のほんとうの目的は何でしょうか?

 

いずれにしても、人生においてすべての土台となるのは、

健康とエネルギー

です。

これがないと、何をやっても楽しくありません。

当サロンでは、皆さんがご自身のほんとうの人生を存分に生ききれるように、

心身の健康、エネルギー、さらに願望実現のサポートをさらに強化しておこなっていきます。

まだ実家関連の雑務が残っていますが4月からは落ち着きますので、またサロンでお会いしましょう。

以下追記:3月27日

前日からの雨が激しく降り続く中、無事、実家の承継手続きが終わりました。

実家のカギもお渡しして、これで完全に40年以上お世話になった実家を完全に手放すことになります。

おそらく4月中には、この家も取り壊されるはずです。

玄関には、かつてこの家に暮らしていた両親、僕、そして妹4人の表札がそのまま貼ってありました。

居間は、母が遺したたくさんの書道の作品がそのまま飾ってあります。

祖父から受け継いだ大事な土地を手放して他の方にお譲りする、というのは、人生レベルでとても大きなこと。

両親はすでにおらず、妹も施設に入っているため僕ひとりでやるしかなかったのですが、

このような大きな役割を無事果たせたことで、本当にほっとしました。

これからまた、新しい人生が始まる。

自分の中では、そんな感覚です。